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福岡地方裁判所 昭和30年(行)1号 判決

原告 元重一

被告 労働保険審査会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は

「福岡労働者災害補償保険審査会が昭和二九年十二月十一日附でなした原告(審査請求人)の請求を棄却する旨の審査決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決を求め、その請求原因として

「原告は麻生鉱業株式会社経営の赤坂炭坑に勤務し昭和二十五年四月半頃より火夫としてボイラーの投炭及び炉の攪拌作業に従事中昭和二十七年九月十日前記作業で腰部を捻挫した。よつて原告は昭和二十八年五月十八日飯塚労働基準監督署長に対し右傷病が業務上の疾病であるとして保険給付の請求をしたが飯塚労働基準監督署長は同年六月十九日業務外の疾病であると認定し保険給付をしないと決定したので原告は同年八月十九日福岡労働基準局保険審査官に審査の請求をしたが同年十月十日審査請求人の申立は認めない旨の決定を受けたため更に同年十二月一日福岡労働者災害補償保険審査会に対し審査請求をなしたところ、昭和二十九年十二月十一日原告の請求を棄却する旨の決定がなされ、その決定書は同月十五日原告に送達された。然しながら原告の右疾病は業務に起因することが明らかである。即ち前記火夫としての作業は炉中に糊着せる石炭を重い鉄棒でこねる作業があるため常に腰部に相当の無理をきたす労働であつて、原告はかかる重労働に長年月従事した為腰部に故障が積み重なつておりそのため前記昭和二十七年九月十日ボイラーに投炭した際に腰部を捻挫したものであつて原告は直ちに前記炭坑病院に於て医師天野俊三の手当を受け爾来継続して治療をしていたが同年十一月二十四日同炭坑を解雇されそのため炭坑病院での治療が出来なくなり止むなく自宅で手当をしているが現在に至るも治癒せず疼痛に苦吟している。よつて前記審査会のなした右決定は違法であるからこれが取消を求めるため本訴に及んだ。」

と述べた。(立証省略)

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として

「原告が麻生鉱業株式会社経営の赤坂炭坑に勤務し昭和二十五年四月半頃から火夫としてボイラーの投炭及び炉の攪拌作業に従事していたこと及び原告主張の日腰痛を訴え医師天野俊三の手当を受けたこと並びに原告主張どおりの経過をへて福岡労働者災害補償保険審査会が原告主張のような決定をなし、右決定書がその主張の日原告に送達されたことは認めるが、原告の右腰痛が原告主張の原因によつて生じたものであることは否認する。その他の事実は知らない」

と述べた。(立証省略)

理由

原告が麻生鉱業株式会社経営の赤坂炭坑に勤務し、昭和二十五年四月頃より火夫としてボイラーの投炭及び炉の攪拌作業に従事していたこと原告が右作業中腰部を捻挫したとして昭和二十八年五月十八日飯塚労働基準監督署長に対し同傷病が業務上の疾病であるとして保険給付の請求をしたが同年六月十九日業務外疾病との決定を受けたので同年八月十九日福岡労働基準局保険審査官に対し審査の請求をしたが同年十月十日福岡労働基準局保険審査官は原告の申立を認めない旨の決定をしたことよつて原告は更に同年十二月一日福岡労働者災害補償保険審査会に対し審査を請求したが同審査会は昭和二十九年十二月十一日原告の請求を棄却する旨の決定をなし、その決定書が同月十五日原告に到達したことは当事者間に争がない。

よつて右審査会のした決定の当否について判断するに原告が腰痛を訴え昭和二十七年九月十日医師天野俊三の手当を受けたことは当事者間に争がなくこの事実に証人田中小七同天野俊三の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すると昭和二十七年九月九日原告は同僚の田中小七と共に二番方として午後二時から十時までの前記火夫の勤務につき同人と二時間交替で作業と休息をすることにして午後四時から六時までの作業に従事していたがその間に腰痛のため投炭作業ができなくなつてその後の作業には従事しないで帰宅し翌十日医師天野俊三の診断を求めて手当を受けたことを認めることができる。原告は火夫の作業中腰部を捻挫したと主張し乙第一号証の一、二、四証人深見松雄同田中小七の各証言には右原告主張に副うものがあるが直ちに信用できないし、又乙第三号証の五の診療録には右原告の疾病が腰部捻挫との記載があるが証人天野俊三の証言からして医師天野俊三が原告の右疾病を腰部捻挫と認定したことは明らかでないし右診療録の記載は原告から腰部捻挫を訴えたことによるものであることを認めることができるのであつて右乙第三号証の五によるも右原告主張事実を認定するに足りないし他にこれを認めるに足る証拠はない。しかも成立に争のない乙第一号証の三に証人田中小七同浦友市同深見松雄の各証言を綜合すれば原告の勤務していた赤坂炭坑に於ける炉の状況は直経七尺位のボイラー二基が据えられ、焚口は縦横各一尺位のものが地上三尺位の高さの所に各基に二ケ所づつあつて投炭用の石炭は焚口から三米位のところに置かれ、作業はスコップ一杯一貫目位の石炭を二ケの焚口に合計十二杯位を投入するのを一回として、一時間六回乃至八回(季節により増減あり)投炭するのと、炉中の石炭を鉄棒で攪拌したり炉中にできる糊着状態の灰の塊を割つて焚口から取除いたりするのが主で、それらの作業に二名位の人員が一時間乃至二時間置きに交替従事していたもので比較的腰を多く使う作業であり、且つ昭和二十六年頃からは従来の自然通風による炉の型式(ランカシヤ型)から煽風機による通風の型式(三橋式)に切り替えられ、その当初低品位炭を使用した関係もあつて作業は全般的に従前に比較しやや労働過重になつたこと、それでもともとこの作業は比較的多く腰を使うため腰痛が絶無とは言えないにしてもそれは短時日のうちによくなる程度のもので特別腰部に無理をきたして仕事が出来なくなるようなことや、多年この作業に従事していることが原因で腰痛を生じ再起不能におちいるようなことはないことが認められ成立に争のない乙第一号証の一、二、四の各記載中以上の認定に反して急激に労働加重になつた趣旨の記載部分はいづれも原告の主張を内容とするもので信用することが出来ず他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。従つて原告が腰部を捻挫したのが火夫作業により腰部に無理がきていたために生じたものとみるべき一般的状況もないのであつてかえつて成立に争のない乙第一号証の三、及びその方式記載内容から業務の通常の過程に於いて真正に作成されたものと認める乙第三号証の一乃至五に証人天野俊三の証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は昭和十四、五年頃性病に罹つたこともあり日頃病気が多く、感冒、慢性胃炎、大腸炎等で度々治療を受けているが、本件腰痛を訴える以前にも昭和二十六年四月二十七日より五月二日までの間腰痛、同年五月二十三日右肩胛部に疼痛、同年十二月十三日より昭和二十七年一月三十一日までの間全身癜風、同年六月二十日より九月二十四日までの間自宅の建設の準備作業をなしていて生じた第四腰椎棘状突起痛の各既往症を有し、特に最後の第四腰椎棘状突起痛の当時には四、五年前から腰が痛くて特に重労働をすると痛むとの原告の訴もあつて、診断に当つた大野医師はその原因を確めるため採血検査をなしたところ弱陽性反応が現われ一応黴毒性疾患の疑あるものとして同年六月二十七日から九月二十四日まで駆黴療法がつづけられた結果採血検査の上では一応陰性になつたこと、しかし原告は現在も腰部が痛み無理な動作をすれば寝込むことがある状況にあることをみとめることができるのであつて原告自身には身体上の故障が多く、勤務以外の作業によつても腰痛を訴えて黴毒性棘状突起痛の診断を受けており、駆黴療法の結果一応陰性になつたとは言うものの病気の性質から腰痛の原因となる蓋然性のあることが推認される状態にあつたから本件全立証をもつてしても原告の腰部捻挫と火夫としての作業との間に因果関係のあることを認定することができないのであつて結局原告の本件疾病は業務上のものと認めることができない。

従つて原告の審査請求を棄却した被告の決定には違法の点はないから正当であつてその取消を求める原告の本訴請求は理由がないことになるのでこれを棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鹿島重夫 生田謙二 麻上正信)

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